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グループ展に参加します。 [告知]

三日間だけ、グループ展に参加する事になりました。
超短いですが宜しければお越しください。


◎ 『三日展』

新規ドキュメント_1.jpg

日時・・・2011年12月2日、3日、4日
     12:00~19:00(最終日17:00まで)

場所・・・ART FORUM JARFO

jarfomap.jpg

http://www16.plala.or.jp/jarfo/


まじで三日間です。そして超大所帯グループ展です。
知らん人も多い。

一体三日で何ができるんじゃろ。
学生の時からお世話になってた京都東山のギャラリー、ジャルフォにて。
地味に久しぶりのこういう展覧会なので、地味に楽しみ。

2日の18時半から交流会するようなので、宜しければお越しくださいー。






発表する意味 [ひとり言]

神様は皆の中に居りますよ、って言うけど、本当に居ますよね 。
皆の中に自我が居ますよね。信念のような。本当はそれを形にしなくても自分の中に持っていたら良いんだけど、不安だから形にしたがる。作品も言葉も。作品は偶像崇拝。

作家も誰かの作品を購入した方がいいって言うけど、残念ながら今の私にそんな心の余裕はまだ無い。というのも、私が自分の中にある絶対的に譲れないものを形にしたくて作っていて、自分信仰過ぎるので、他者の美意識を受け入れる余裕が無い。素晴らしいものを見ると嫉妬する。それを欲しいと今は思えないみたい。

大量生産されたものとか意味のないものに自分で価値をつけて無駄にコレクションするのは好きやけど、どうも私は既に素晴らしいとか美しいとか言われているもののコレクターにはなれんようです(笑)

自己満足だと言われるかもしれないし、発表する意味が無いと言われるかもしれない。
発表する意味なんて、自己を満足させてやる為に作って、共感して貰えないと不安で不安で仕方ない人間だから、世の中に見てくれと言ってるだけ。
子供と同じ。

それでも、作品良いねと言って共感してくれる人が居るから、なんかありがとう、と言ってくれる人が居るから、そういう人の心の何かになれればいいと発表する。
悩みの尽きない、私と良く似た人間の何かにシンクロしてくれればいい。
顔の見えないコミュニケーションはあまりしたくない。
作品を通じて、顔の見えるコミュニケーションがしたい。

目に見えない美しいものは、結局目に見える美しいものには勝てない [ひとり言]

私は今まで、作品は今自分の見ている世界の遥か先を見ているんだと思い込んで、そこにキラキラした未来を期待していたけど、結局作品は自分の身体の後から付いてくるものでしかなく、私の作品は今ようやく生き物としての形と意思と、片言の言葉を発し始めたレベルでしかないらしい。作品が自分を育ててくれるのではなく、自分が作品を育てていかないといけない事に、何故今まで気付かなかったんだろう。


作品は魔法でもなんでもなく、
無い所からは何も生まれない。

体験の後から形として現れる、成績表みたいなものでしかない。

自分が身体で体験する→作品を作る→そして作品が精神に教えてくれる。


未来は、知らないだけでもう用意されているものだと思っていた。
どこかで、機会を待っていれば変わるものだと思っていた。

いい作品を作ろうと思考するより、いい作品を作る為の身体を満たしてやりたい。

美術について 追記 [ひとり言]

古いとか新しいとか、美術とか駄美術とか、誰かがやったとかやってないとか、どうだっていいのかもしれない。
何 をやったか じゃなく、どう やったか。
その 何か が昔誰かがしたような事であっても、私が どうか した事には変わりない。
昔の人は尊敬しているし、私がやろうとしていることは、私が知らない誰かがもうやっているかもしれない。

もう、こんなにも沢山のお手本が存在しているんだからこそ、私はそれを吸収して、何だって描けるものを描けばいいんだと思う。
私は、何だって描ける。

どうせ何だって描けばいいと言っても、描けないものは描けないんだし。

誰かが描いたから、描くな なんて誰も言っていない。
誰かが描いたから、描くなと規制をするのはいつも自分自身。

自分に規制をして、何になるんだろう。私は、私に出来る事を、ただやればいいんだ。
出来ない事は出来ない。
それでいい。

美術について [ひとり言]

絵画は、天性の才能で描くものだと思う。だからどこまでも「有る」 。でも、現代美術からは、「有り」たいのに「無い」というコンプレックスを感じる。

絵画を見て凄く泣きたくなる時がある。それは目の前のそれが余りに大きすぎて、敵わなくて泣けてくる。余りに美しい見た目がただ存在するので、自分の精神がちっぽけに思える。
絵画は嘘をつくし、平気で裏切ったりもするし、全く「分からない」。
それは自然と同じだと思う。

現代美術を見ても泣きたくなる時がある。それは目の前のそれが自分に重なって、コンプレックスが重なって、悔しくて泣けてくる。
汚くて、綺麗な人間がそこに居るので、不快を感じたり、腹が立ったり、見たく無い時もある。でも、とても「分かる」。
現代美術は嘘は付けない正直者だと思う。

現代美術なんていずれ滅びる。っていうのは、人間なんていずれ滅びる。って言うのと同じ事。人間なんてもろい。

現代美術家は、天才ではないと思う。
素晴らしい現代美術家は、天才という素晴らしい 感性 を得られなかった穴を、理性と努力 という 知性 で埋めた秀才なんだと思う。

展覧会告知。 [告知]

ちょろっと告知です。


名古屋のコンペに入選しました。その入選展に参加します。


◎第2回 Dアートビエンナーレ2011 入選作品展


会期・・・
2011年10月31日(月) ~ 11月6日(日)
午前10時 ~ 午後5時 (但し初日は午後1時より)

会場・・・
ダイテックサカエビル6階クリエイトホール
< ダイテックサカエ >
〒460-0003
名古屋市中区錦三丁目22番20号
TEL 052-971-3830

URL:http://con-bijutsuten.net/index.html

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そして、公募型展グループ展に出展します。

SHOW CASE SHOW 第10回展


伊奈章之・青木惠・長谷川千晴・鮫島ゆい


会期・・・
2011 年11月1 日(火)~11 月12 日(土)まで
(12時~19時、日、月、祝休み)

会場・・・
Showcaseshow/MEGUMI OGITA GALLERY
〒104-0061
東京都中央区銀座5-4-14 銀成ビル4F
tel: 03-3571-9700 fax: 03-3248-3405

URL: http://www.showcaseshow.org

gensen.jpg



お近くにお越しの際はご高覧頂けましたら嬉しいです!


今の社会と、社会に生きる人の精神状態とを、自分の作品と照らし合わせる。 [日記]

今の私の作品は、自分そのものであって、きっと今の社会の精神状態そのものだとも思う。
ずっと心より精神の比重の方が多くて苦しかった。
だから現実から逃げたくて、非現実的な、流れの早い、イラストデザインアニメ寄りのアートを求めた=売れた。

でもきっとみんな震災があって、人と人との繋がり、地面、身体の大切さに気付き始めてる。中心に寄りたいと願ってる。
でもまだまだ地盤が弱過ぎる。
気付いたばかりだから。
それは私も同じで、ようやく地盤となる身体の部分(絵画的な部分)を強くしようと願ったばかり。
今、アーティストは震災から受けた衝撃を絵に消化、昇華しようとしてる。祈りという行為や、平和でありたい願い、生命の尊さを分かりやすく提示したアート。
それが今のアート。であり世の中の心の状態。だから売れるんだと思う。

祈りのその先。
祈っているという行為、見た目を超えた先に、中心がある。
私が目指したいのは中心。

だから今私にできる事は、社会がより中心に寄りたいと願った時に、最高の作品になっているように、今はしっかり地盤を構えて備える事。
私の絵、今が旬じゃないし。(笑)←もし私がキュレーターやギャラリストだとして、私の作品見たら、まだ身体が弱いなー。って言うもん。(笑)

でも方向性は間違ってないと思うんだけどなー(笑)
何年先になるかは分からんけど、中心がキレイだとされる世の中になると思ってて。

だから皆が中心の美しさを求める時に、中心が理解されるちょっと前に、私の作品が最高のものになっているようにしよう(笑)←ちょっと前がミソ

時期がくるちょっと前に一番力のある作品が出せる様に、今は蓄える時期。
感性を養う時期です。身体をつくる時期です。
精神が早過ぎると、身体が追いつかなくなるので、待つ。
私今肉体的に健康じゃないし綺麗じゃないから、まだ、です。

アートをやっているだけで特別視される事があるけど、つくづく、アートっていう行為がないと人として保てないただの人間なんだから、作らずとも保てる人の方がよっぽど凄いなって。

結局アーティストは、世の中にくっつくことしか出来ないんだなーと。


昨日geisai終わったけど、世の中の反応も見れたし、為になった。
受賞という現在トップの座じゃなく、作品をコレクターの方が買って下さるという繋がりを貰った。
知り合いが沢山観に来てくれて、来年には東京で個展の機会が待ってる。
そんな所を見ると、慌てずにゆっくり自分に合うリズムで作家活動が出来る様に、
自然に調整してくれてる気がする。
ありがとう神様(笑)
作家続けて行きます。

さらに追記 [ひとり言]

絵画=感性、身体、形があって変化していくもの、海、地、名詞
デザイン=理性、精神、形を持たず変化しない、空、天、動詞

絵画もデザインも別物だけど、やっぱり元は一つなんやなー。

そうしていくと、地球上は何でも二種類だなという結論になりました
二極のバランスが大事だなと…


キャラクターが空っぽなのと、デザインされたものっていうのが繋がりました
着ぐるみって、なんにも無くてちょっとぞくっとするよね

言葉に魂が宿るとはうまく言ったもので身体(名詞)と精神(動詞)が合わさって初めて人(言葉)になるんですね

そら を から と読むとは本当にそのことだし。


前からずっと、森の中にビニールチューブが落ちてたり、カラーコーンがあったりビニールシートが被さってたりする、自然物に人工物がある風景が好きで、これはどういう感覚なんだと思っていたけど、なるほど。
二極がバランス良く置かれている状態に美しさを感じていたわけだな。
神社の中に赤い鳥居がキレイなのもそうだ。


うーん
めっちゃでっかい草原に青空がずーーーっと広がってるとこでひるねしたいよお

作品について追記 ツイッターまとめ [ひとり言]

私の作品は自分そのもので、感性(絵画的なイメージ)と理性(デザイン的なイメージ)が合わさって出来ていて、それを知性で形にする。感性は時間と共に変化する身体的な部分で理性は変化しない内面、精神の部分。


身体と精神のバランスが崩れると体調不良になるように、絵も身体(感性)と心(理性)のバランスがとても重要。


感性、理性、知性のバランスは、自身だけじゃなくて、社会そのものにとても大事。今までずっといいバランスが保てていたのに、バランスが崩れたために社会が体調不良…


体調不良治すなら、感性と理性のバランスを見直せと知性が言うておりますが、どうもバランスが悪いのでずっと体調不良です私・・・。


バランスが悪い事は知ってるんやけどな。なかなか治らん。多分、世の中みんなバランスが悪い事は知ってる。知性は十分あるんだよなー、でも感性と理性があっての知性なんやけどなぁ


絵画=感性 自然 身体 変化する 名詞… デザイン=理性 人 形のないもの 動詞… それぞれを形にする技術が知性?


神社は、自然信仰(知性)をどうにか形にしようとして、自然(感性)の中に、鳥居(理性)をデザインしたってことかな

作品について考えた事。 [ひとり言]

私の作品は自分自身。
こうでありたいとか、こうだとかいう思考、欲 + 理性の部分、冷静な、ただの魂の部分 で出来ている。それは同時に、社会そのものとも言える。
見た目が絵画的なイメージが自分の欲、肯定の部分。身体。
見た目がデザイン的できっちりしたイメージが、理性の部分、否定の部分。心。
身体と心のバランスが崩れると体調不良をおこすように、欲の部分と理性の部分のバランスが崩れるとイメージが破綻する。

どんなものであれ、絶妙なバランスで成り立っている。



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